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「ご先祖様はお城に住んでいたんだよ。」と小さい時おばあちゃんが教えてくれていたのを今でも覚えています。
お祖母ちゃんはNHK大河ドラマを大好きで、いつも自分の事のように話ながら見ていました。
母方の祖父、水野誠の故郷は和歌山の新宮にあります。
写真を見せるとドイツ人?とか聞かれますけれど、生粋の日本人です。
江戸時代から続く譜代大名新宮水野家、新宮藩3万5千石直系14代当主でした。
子供の時一度だけいった新宮の城跡の大きな石垣、何やらわからなかったお寺での供養、、、
私は当時12歳でドイツへ渡る事になりました。
後にハンブルグの地に定住、通訳をする傍ら、日独交流を重ね、近年我が身のルーツを振り返るようになり、大好きだったお祖父さんの故郷をたずねて新宮へ行きました。
その故郷帰りの旅の記録です。
400年の歴史の跡をたどって、11歳の息子健をつれて和歌山までいきました。
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Pressebericht 3
Pressebericht 4
Pressebericht 5
2010年3月8日 関西空港へ お迎えには和歌山日独教会の樫畑副会長がきてくださいました。
次の日は在ハンブルグ日本国成宮総領事、ハンブルグ独日協会会長、ハンブルグ経済振興協会国際部からのご挨拶を携えて県庁へ、仁坂県知事にご挨拶させていただきました。
小田(和歌山日独協会)会長、モニカ&健、仁坂県知事 樫畑(日独協会)副会長
同日、和歌山ロータリークラブにて水野家の歴史やハンブルグへの結びつき、独日交流の今日に至るまでについてお話しました。
なれないスピーチでしたけれど、皆さん聞いてくださってありがとうございました。
健もがんばって(日本語で)ご挨拶しました。 (こんなたくさんの偉そうな人の前でマイクもって緊張したあああ!)
この日午後には紀伊半島の海岸線をオーシャンアローでくだり、待ちに待った新宮へ向かいました。
新宮の駅では新宮市から田岡市長、大江教育長、鈴木秘書課長、そして元新宮領主水野家顕彰会の皆さまなにどお迎えにきていただきました。
滞在先は元新宮藩、お城の火薬商を代々勤めた伝統ある遊木家経営のビジネスホテルユーキへ
まちでは盛大なWelcome Party….. を準備してくださいました。
新宮の町の歴史と伝統の継承、新宮城の再建事業に取り組んでいらっしゃる方々や、ご先祖様が城仕えしていた方などともお会いして、昔のお話をうかがいました。
健は4分の3ドイツ人でも新宮水野家14代水野誠の亡き後唯一の直系男子子孫、皆これにはびっくり!
滞在中はホームステイ先の松原ファミリーに御世話になり、新宮市立の千穂小学校で体験入学
そして、立派な石垣の残る 新宮城城跡を訪ね
水野家の菩提寺本広寺へ 時代をこえて今日までお城と御墓を守ってくださり、感謝。
そしてお墓参り
江戸時代から続いた水野家14代領主の眠る水野家墓所へ
歴代の城主、ご婦人、そして思いを寄せた人々の霊に心より敬意をはらって
写真1:2010年 新宮水野家歴代城主の墓地 今日の姿 {元新宮領主水野家顕彰会の皆さま20年の働きを感謝)
写真2:1903年 同じ場所 山明治35年八甲田山雪中行軍で亡くなった水野忠宣の葬儀
400年の時が刻まれ、歴史が流れ、緑深い自然の中に静かにいまもなお、跡をのこしています、、、
フィールドワーク、歴史の跡の散策、、、
姉妹都市交流協会の福辻さんに案内していただき、水野家と深くかかわる、町の史跡をみせていただき、世界遺産ともされている熊野の自然と神秘的な美しさを体験しました。
忘れられない10日間の旅、たくさんの思い出、志を胸にしてハンブルグへ帰りました。
和歌山、新宮の皆さん本当にありがとう。
ハンブルグと新宮がより近くなりました!
この思い出を大切に、両市の友好関係発展のお手伝いができますように。
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